Isamu Uno
パキスタン・イスラム共和国 

(Islamic Republic of Pakistan)  


白は平和、緑は繁栄を表わす。三日月と星はイスラム教の象徴で、発展、光と知識をそれぞれ表わす
私は今、この国を訪れているが(1998年12月〜99年3月)ここへ来て初めて考えさせられた事がある。
新月(三日月)が上ると、それがラマダン(断食月)の始まりの合図だそうだ。ここへ着いたのは、それが数日前のことであり、ひとびとは昼間は食事をせず、夜間になると物を口にしていた。富める者から貧しい者、すべての人々が平等に共通の行いを一斉にする。もちろん宗教的な行いである。
 どんな宗教でも、断食をするという行いは存在する。仏教でもキリスト教でもそういった行いはあるのだが、イスラムの場合は一般の信徒が積極的に行うところに違いがある。
仏教的な考え方だと、それは苦行であり修行というイメージだが、彼らの話を聞くと違うのだった。
 なんと、ラマダンのほぼ一月間、彼等は楽しんでいるのだ。昼間は飲み食い出来ないが、これは体内をクリーニングして健康に良いというし、夜は家族一同集まって食事をするのは大切なことだというし、全員で行っているからだろうか、宗教的に気が昂ぶっている風な感じも見受けられる。(宗教がらみの血なまぐさい事件も、この時期多いのはその為だろうか)
 国旗や国名が示すようにこの国は、イスラム色が色濃く反映されている。

1998/12/22
ファイサルモスク(イスラマバード)午後 10時にやっとホテルに着いた。昨日朝の9時から成田にいるから、時差を加えてかれこれ30時間ということか、やっと着きましたイスラマバード。ほんとだったら、PK853便は昨日の13:55に立ち、北京を経由してイスラマバードに、21:45の同日着の予定だった。
 飛行時間は約12時間のフライトのはずが、何故かこんな事になってしまった。北京から先が天候が悪くて欠航。急遽、名前をPK8530と変えてマニラ経由カラチ行きとなり、国内線でイスラマバードに乗り継ぐというもの。機内に乗り込むと始発なのにお客が乗っている。スチュワーデスに話を聞くと、もっと凄い事が分かった。金曜日の同じ便に乗った人が北京でスタック。2泊をホテルに缶詰されて、戻ってきたらしいのだ。そして、今度は南回りで行こうというのだ。
 冬の時期は天候が悪いそうだが、こんなに長時間天候が悪くて先へ進めなかったのは 初めてらしい。
 これは後日どういう事か分かったのだが、付近に避難できる空港がなければ飛んではいけない、あるいはルートを変えなくてはいけないという航空上の規則があるためでした。この時付近の空港は中国のウルムチは凍結でダメ、パキスタン北部は霧でダメ、それでカラチになったようです。

1998/12/25

本物です 護衛のポリスが持たせてくれた彼達は一日五回の礼拝(ウルドゥ語でナマーズ)をする。いっしょに仕事をしていて重なるのは午後2時ごろにナマーズといって外へ行くぐらいで、そんなに頻繁に仕事が中断するわけではない。
 朝の8時半から仕事をはじめて、昼はラマダン中なので、異教徒の俺だけサンドイッチを食う。ティーボーイがいて俺にだけチャイを作ってくれたりして、俺は時々休むが彼等は休まない。休憩は2時のナマーズだけ、そして4時で仕事をあがる。
 しゃかりきに動いてるわけではなく、ゆったりとしてるが、その間ずっと働いている。わりかし働き者である。休むのは午後2時のお祈りの時間だけ、休憩時間としてお祈りの時間があるような感じである。気分転換になるし、気が落ち着くらしい。

 この写真を後日メール友達に送ったら、『やれやれ、男の人はいくつになっても銃が好きですね』と言われた。


1999/01/01
花まで添えてくれたここはRahimyar Khanという町で、パキスタンのほぼ中央部にある。ここに気象用レーダーの新設で来たのだが、工期が限られていることもあり、日曜なしに加えて大晦日も元日も仕事だ。暦が日本と違うので年末年始はもともと関係ないのだが、ずっと休みがないのはちとこたえる。ラマダン明けがこちらの祝日になるので、そのころに 休めるだろう。
 こんなところに日本人ひとりで置いてきぼりになっちまってる。仕事をしてるからそんなにさびしい思いはないが、完全に忘れ去ることなんか出来ないよ〜。
 夜、それを察してか、コックが僕のためにケーキをくれた。A HAPPY NEW YEAR とある。(;_;)うれしかなしや写真を撮った。

1999/01/07
ホテルで唯一の女性キスタンに来て、まだ数週間ですが、ここで働いている女性を見たのは、片手で数えられます。(農業はカウントしません)ホテルに一人、事務所に一人、後、聞いた話で、美容院に一人、電話会社に一人です。コックも、掃除人も、商店も、メードも、すべて男性です。
 ここは女性の首相もいた国ですが、ブット女史の場合、親が元首相で軍事政権に処刑されたという経緯があるので、選挙では大変有利に働いたようです。自力で女性が国のトップに上り詰めることが出来る社会基盤があるとは、言い難いようです。
 パキスタンは農業国であるからとも言えますが、イスラムの社会が女性の進出をさまたげているように思えます。
 世界中でイスラム教徒が増えているのは、どうしてなんだろうな、西欧文化が否定されてるわけになるのかな。
 日本では西欧文化はすんなりと受け入れられて、女性の社会進出や、自由な行動が認められて、いろんなものを食べて、海外旅行をしたり、が出来ますが、それらに制約がある、イスラムを受け入れるのが理解できない。

1999/01/13

宿舎の隣にすんでいる子供っと昨日、イスラマバードに戻って来た。事務所で紹介してもらったプロバイダに早速、申し込みをする。デポジットとして Rs.2,500 回線使用料として Rs.150 手続き手数料として Rs.1,500 計 Rs 4,150で良い。(ちなみに Rs1=約2.5円)一時間あたり Rs65(平日の昼) Rs45(平日の夜間) Rs25(日曜日) の三段階に設定してあって、なくなったら接続停止という仕組みらしい。
 いまや本当に全世界へとインターネットは浸透している。E-Mailをしたいといえば、パキスタンの田舎でも、それがどういうものかわかってくれるし、基本情報を入力してやればちゃんと繋がる。
 ネパールで繋ぐのに苦労したかいがあって、すんなりと繋がった。でも、やたら遅い。(*_*)

  • COMSATS Internet Services

     写真に写っているのは、宿舎の隣に住んでいる子供。さすがに手にしてるのはおもちゃの銃。ボデイガードの警察官と宿舎の門番、運転手逹。
    他にコックなどと共に、ひとつ屋根の下に暮らす。


  • 1999/01/19

    ラマダン期間中は、夜は家族そろってお食事ころで、きょうは休日です。イード(EID)といってラマダン明けの休日です。 朝、朝食をいつものように食べに行く、このホテルに泊まっている外国人は俺一人、ラマダンだからお日様が昇って、朝食を食べているのはいつも俺一人のわけですが、朝食を運んできたウェイターが、皆これからモスクへ行って誰もいなくなるけど、これで良いかと言う。ティーケ(ウルドゥ語でOK)というと、ほんとに誰もいなくなった。
     きょうは初詣に行く日らしい。

     街はひっそりかんとしていて、静かです。
     毎夕、ホテルのレストランに家族連れやグループなどで、食事に来ていた人がいなくなりました。


    1999/01/20
    ょうもイードで休日ですが、こちらに来て、初めての雨です。せっかくの休みだから観光したいのですが、タクシーも走ってないし部屋でのんびりしてます。
     することがなくはなく、ホームページを作ったり、仕事の図面を訂正したりとコンピュータ三昧。
    そして、ホテルのマネージャー室に行って、電話線かしてとメール送受したり、ほんとはインターネットを見たいのですが、気が弱くて長居出来ません。作ったページも更新したいよ。

    1999/01/22

    メッカの方角 あっ、停電だ!!
     パキスタンでは電力は水力発電によるところが大きいのですが、今年は異常気象で、雨が極端に少ないそうです。おかげで、停電が多い。
     イード期間中は工場などがお休みのため、電力をまわせるのでしょう。停電はなかったです。祝祭日に停電は無粋なので、無理をして供給していたのかもしれません。
     話を聞くと今年の場合は、ちょっと深刻なようです。ここ数年こんなに停電はなかったそうです。特にイスラマバードでは外国人も多いし、要人も住んでいるので、優先的に電気をまわしていたらしいです。ところが、今年は雨が降らないおかげで、イスラマでも計画停電させてるようです。
     暖かくなれば雪解け水がインダスにそそぎこみ、電力不足も解消されるようです。皆、春を待ちわびています。

     写真はメッカの方角を記してあるシール。ちょっとしたホテルには机の上とかにこのシールが貼ってあります。


    1999/01/30

    「マリー」という名の国産ビール  がない!  この国はイスラムの教えを、厳しく守っており、飲酒はご法度。空港で隠して持ちこむのが一般的ですが、見つかった場合はウィスキーなら税関に預けられ、帰国時に返還。日本酒や焼酎などはウォッカだろうと職員が言うのをさえぎり、パーニー(水)と言い張っていれば、持ちこめますね。まぁ、これはどういうことかというと、ウィスキーの場合、闇に流れ込む事が多いので個人的に飲むといっても取り上げられ、その他の酒は、大目に見てくれるようです。あと、ウィスキーは詮を空けてあったり、中身をペットボトルに詰め替えておくとかという手もある、いずれにしても職員の気分次第に左右されますが、、、。
     国内に入ると手に入れるのに困難を要する。が、それでも外国人は高級ホテルで、飲めたりするんだけど、これがそれ。
     なんと、パキスタンでは国産のビールが存在する。(ウィスキーも作っているらしい)マリーという名でくさくてまずくて、ホテルのボーイは生暖かいのを、思い切り振りながら(意地悪いよね)持ってくるもんだから、詮を抜いたとたんに噴出しやがって、許せん!と息巻くが、もったいないと全部飲み干して、記念に写真を撮った。

     ちなみに「マリー」とは、地名でイスラマバードから車で2時間くらいのところにある避暑地。ここに別荘を持っているのはちょっとしたステータスらしい。


    1999/02/05
    現地服を仕立てました 邪をひきました。夜中に熱が出たので翌日、迷わずに医者につれていってもらいました。
     言葉の通じない異国で医者に行くのは勇気がいりますが、現地でしか分からない病気と言うのも存在するので、診察してもらいました。
     簡単なものです。体温を測って、血圧を測って、聴診器で診察する。処方箋を書いてもらい薬局に薬と注射器、針を買い、それを持参して注射を打ってもらいます。解熱の注射だったらしくこの日はとても楽になりました。

    1999/02/10
    でっかい卵の中は気象用レーダーです  の象徴、あるいは特権だと思っていたのですが、ここでは違うようです。文化、風俗、習慣の類ですが、万国共通と思われていた事項が覆されました。
     いかに快適かつ容易に、男は立ち姿で事を成す事が出来ますが、女は出来ません。この事は、男であることの象徴的な姿であり、女性には出来ない特権かと思っていました。
     つまり、俗にいう立ちションのことです。立ったままで小便をするという行為は、全世界共通の男の文化とばかり思っていました。が、ここパキスタンではそう言うものは存在しません。すべて座りションなのです。
     街に女性をほとんど見かけないこの世界では、男性が女性化してしまうのでしょうか? それとも、座った方が楽なのでしょうか?ああ、それにしても、奇異です。
     もうひとつ、男も女も陰部の毛はすべて剃っているそうです。嗚呼。

    1999/02/17

    ポピュラーなパキスタン料理  やっと風邪も良くなりました。半月ほど調子が悪かったです。まだ、咳は止まりませんがほぼ回復しました。
    今年は日本でもインフルエンザが凄かったようですが、ここパキスタンでも同様です。手洗いやうがいをまめにしていたのですが、それでもかかってしまいました。
    それから今日は誕生日でした。普段と変わらない日でした。

     写真はもっともポピュラーと言えるでしょう。主食のチャパティ(ふすま:小麦の皮の入った小麦粉をこねて、焼いた薄いパン。そのままでは味気ないので、カレーを付けながら食べる)
    チキンビリヤーニ(チキンとご飯を一緒に炊き込んだもの、油や香辛料が含まれている。いないものはプラオと呼ばれる)
    チキンゴーシュト(チキンが入ったカレー味煮込み 香辛料や香菜のトッピングの違いはあるが、どこでも味は大差ない)
    生野菜(トマト、玉ねぎ)


    1999/02/19

    インダス川を背景に   ンダス川を背景に撮りました。
     お隣のインドでは、川は宗教的に特殊な意味を持ち、沐浴とかする設備(ガート)などがありますが、ここパキスタンでは見かけません。宗教的な意味合いなどを見出してはいないようです。
     川沿いの地域は用水路が発達していて、よく整備された農地が広がっています。作られている作物は小麦、さとうきび、菜の花で、交代で作っている感じですね。

     休みの日に果樹園を見学に行きました。日本のようにきれいな形の果樹はなく、ごつごつしていて、種はあり、ごつごつしています。とても日本じゃ商品になりません。
     これはどんなことにも当てはまり、パキスタンが発展しない理由のひとつに思われました。少しでも良いものを選択する日本人はあらゆる物を改善して物を作る。だから、世界に売れるものを作れたんだと思います。パキスタンに限らず、開発国がいつまでもそこから抜け出せないのは、人々の考え方を根本的に直さなければならないだろう。


    1999/02/21
    イスラムのお墓   れは、何だと思いますか?イスラムの人達のお墓です。形から創造できるとは思いますが土葬です。
     彼等はお墓の前でやはり、手をささげ祈ってました。先祖崇拝はイスラム教でもあるようです。
    ちょっと聞いたところでは、アダムとイブは土から生まれたから、土に帰るそうです。イスラム教とキリスト教は根源では共通部分があるようです。
     宗教の話しはみんな好きです。こんなことも聞かれました。モスリムは動物は殺す前に祈るし、祈らないで殺されたものは食べないという。仏教徒は祈らないのだろうといわれた。
     ちょっと、返す言葉に困りましたね。日本では何気なく食べてるもの何ですが、いちいち祈っていたんでは、不自由だし、合理的じゃないし、でも、生き物を殺さないで生きるにはベジタリアンになるか、ということになっちまう。

    1999/03/06
     を走っていると、緑色の旗を振っている人達がよくいます。これはモスクに寄進を求めているもので、緑色がイスラムの平和を表しているのがよく分かる。
     あと、よく乞食もいますが威張っている人達が多くて、日本人はお金を上げることに抵抗感がありますね。富める者が持たざるものに対して、施すという考えは分かるが、施される側が当然だよという態度をとるのが変な気がするな。

    1999/03/18
    Camel on Karachi's Clinton Beach ラチは、ちょっとすました感じのイスラマバードよりアジア的な活気があります。女性の働く姿も多いし、物価も安い。が、治安も悪いようです。運転手たちは口々にここはカラチだぞ、気を付けろ、危ないんだといいます。新聞では毎日、殺人事件とか報じられてますし、ここはインドからの移住者なども多く、トラブルも多いようです。  パキスタン在住のひと曰く、シンド州の人達は血が熱く騒動が多いそうだ。それに比べパンジャブ州の人は、頭に馬鹿がつくほどお人好しだと評価していた。
     そんなに、違いがあるのかどうか僕にはよく分かりません。海岸で観光らくだを、騒ぎながら引っ張りまわしてる姿を見て、南で暖かい気候だからかなと、ふと思いました。

    1999/03/24
    結婚式  こイスラマバードに春が来ました。木々は芽吹き、道路脇のタンポポも満開です。家々の前の小さな庭にも、さまざまな花が咲き乱れ、この街はこんなにも花が多いかと、咲き始めて始めて気がつきました。  風も柔らかく、時には強く、そして雨を運んできます。時には雹なども降らせておどろかせてくれます。  子供たちは、凧上げに興じています。良い風が吹いてるのだそうです。若者はというと恋の季節だそうで、この時期は結婚式が多いのだそうです。というか、皆、この時期に結婚したいらしいです。  季節の名前は、ウルドゥー語で「バサン」意味は、スプリング アライバル シーズンと答えてくれました。

    1999/03/28
    タキシラの遺跡 キシラの遺跡を見た。仕事の合間に時間が出来て1日行ってきました。
     日曜だというのに、観光客も少なくて、せっかくの観光資源がもったいない気がします。
     ピクニックにもってこいの季節で、久しぶりにのんびり出来ました。

    1999/03/31
     よいよ、帰国となりました。来た時は冬で意外と寒かったのでびっくりしてましたが、ここイスラマでも春となり、他の地域ではもう夏です。もうすぐ、日本より過酷な夏が訪れるでしょう。
     仕事はまだまだ、続いていますが、先発で来た私は帰国できることになりました。この日記のページもここで終わらせることにします。

    後 記
     記は12月21日に東京を発ち、約100日間の記録です。日記の形式をとっていますが、思いつくままを自由に書いています。
     夜行便で上空を飛行すると、国境線がくっきりと見えるのには驚きました。鉄条網とそれを照らすサーチライトが何百キロと続いています。核実験後、緊張状態にあり外国人は最悪、脱出ということも考えられたのですが、そんなそぶりもなく、関係改善が進んでいるようです。
     大きなトラブルもなく読んでいる人には、物足りないかと思いますが、仕事で渡航したものですから、それはそれで好都合でした。

    日誌外伝

    トラック

    日本のトラックドライバーも電飾や絵で飾ったりしますが、
    ここパキスタンのトラックも同じです。
    鎖を沢山ぶら下げて、走るとちゃらちゃらと金属音がします。
    その音はお金の音と同じだと、リッチマンだとドライバーは言い、
    背後にはなぜかパキスタン航空のジャンボ機の絵。
    イスラムの世界だから、日本のように女の人の絵はありませんでした。


    ナン
    パキスタンでポピュラーに食べられているパンの焼き方。


    とあるカラチの一般食堂
    ナンを焼くメンバーは4人


    まず、手ごろな大きさに丸め


    棒で延ばし



    釜に貼り付け


    焼き上がり

    ホテルのフロント

    「写真とって良いですか?」 「ダメ、ダメ!!」

    「デジタルだから、その場で見れるよ」 「アラッ イイワヨ」



    「どうです?」 「ノーグッド、ボケテル」


    「どうだ?」 「ダメ、クライ」


    「これでは?」 「イイワ」

    一時期カシミールで再び軍事衝突もあり、治安の悪化も伝えられていますが、7月現在、プロジェクトはまだ続いており、会社の仲間もまだ向こうにいます。
     若干の訂正、加筆を7月に行いました。    1999/07/18記

    以上の記録は私(Isamu Uno)のホームページ「世界物見遊山」に同様の内容があります。

    作者のその他のページ

    「神輿自慢」:
    http://home.interlink.or.jp/~sam-uno/mikoshi/jimantop.htm

    E-Mail 
    sam@u.email.ne.jp
    sam-uno@interlink.or.jp

    日本語トップ | BBS | Hot Info | 記憶 | ギャラリー | Index | リンク | 募集 | メール