旅人の記憶
Sonali巡礼者: インド、バスの旅

作者: Jodi Berman、訳 Yukari Kumagai


作者紹介
ニューヨークで10年間、ヤッピーの生活にどっぷり浸かった後、ジュディーはその生活にみきりをつけ長年の夢をかなえるべく世界旅行に旅たちました。その
14 ヶ月の間に訪れた国は 26カ国、 4大陸におよびます。現在彼女はNew Jerseyで旅の記憶を書きしるしています。(結局ここが彼女の定住の地と決めた場所)

何を持っていくとか、どこへ行ったらいいとか、どの宿がいいかとかは言いません。そういったことを書いた本は、たくさん出回っているからです。それよりも、もっと個人的なアドバイスをいたします。まず、自分のお国を出たら、あなたはよそから来た人で、必ずしも自分のやり方がまかり通るというわけではないということです。それと、どんなことに対しても、受け入れる気持ちを持つということです。旅先で出会った人、試してみた食べ物、今までにふれたことのなかった文化、生活などなど。あとは、第一印象でものごとを判断しないということです。得てして第一印象というものは、間違っていることが多いからです。最後に、常に根気、何でも吸収しようという気持ち、ユーモアをめいっぱい持って旅をする。何でも受け入れようという気持ちが多ければ多いほど、新しいこと、今までとは違ったこともどんどん吸収できるし、ポジティブな姿勢をキープできます。そうすれば、旅がもっと楽しいものになるはずです。

インドでの48時間に及ぶバスの旅がこういうルールを教えてくれました。で、そのバスの旅というのは、こんな感じでした・・・。

ヒッピー道をひた走るような旅が10ヶ月目に突入したころ、インド行きを決心しました。宗教、文化、地形、人、そしてその風景すべてにおいて、インドは私を魅了しました。私は、インドに関する恒例の、旅人たちの間に出回っている"ウワサ"や警告に耳を傾けました。生水を飲まないこと、ベジタリアンで通すこと、おクスリには絶対に手を出さない

犯罪なんて日常茶飯事だから、貴重品からは絶対目を離さない。値段交渉なんて当たり前、つつがなくことを済ませるには、"お布施(バクシーシ)"をうまーく使うこと。(特に"その道の権威" 的な存在の人とやり取りする場合。)予定の遅れや、お粗末な道路事情には用心する。それと、一番大事なこと:女性の一人旅は、ぜーーーーったいにしないということ。などなど。

でも、こういったことは、よそ者の視点であって、なんだか道理にかなってないように感じました。非論理的だと思うことの方が道理にかなっていることもある。習うより慣れろの精神です。どんな状況であっても、それを受け入れて、なんとかするか、笑って済まして、決して変えようなんてしないこと。

旅人のうわさ話や警告に私はびびってました。だから、"あたしだってこれまでけっこう旅してきたんだから大丈夫" と自分に言い聞かせました。(って言っても10ヶ月たっても、まだこれといって何も起こってない。)言い聞かせてみたものの、やっぱり、いろんな不安が頭をもたげていました。おまけに、私の性格は忍耐とか、そつなく動くということとは縁遠いものなんです。でも、数々のインドに関するうわさを翻すべくインド行きを決行しました。

インドの1人旅は御法度だと言われた私ですが、気がつけば一人寂しく寒くて、雨がしとしと降っているなんともおさみしい朝6時、ネパールのポカラで私はバスに乗り込んでいました。バスに乗っている人がとても怖く思えました。みんなが悪人に見えました。ブランケットにくるまった粗末ななりをした2人は特にやばそうに見えてしかたありませんでした。私は完全にパニック状態でびくついてました。

そこで、私は必死になってバスの中をじっくり見渡して旅仲間を捜し始めました。それらしい候補者は、ゼロ。AM7:00頃になってようやくオーストラリア人を見つけました。極寒からちょっと暖かくなったくらいの気温だというのに、この旅人たちはバミューダに草履といういでだちでした。この人たちは完全に舞い上がっていて、Goaに行って、「炭坑夫2人組がお日様と女といけないおクスリを求めてはるばるオーストラリアからやって来ちゃったよーん」ってなことをみんなに聞こえるように大きな声で話してました。なんて奴らだ。他に旅仲間を選ぶ余地がないものの怒りがこみ上げてきました。その後も、オージーたちのおしゃべりはとどまることなく延々と続き、バラナシへ向かうようなことを話してました。それは私と同じ目的地でした。(とほほ。)このあと20時間以上奴らと一緒なんて考えただけでげっそりしてきました。それから8時間、バスはネパールをひた走りました。曲がりくねった山道や、Terraiを走り抜けていきました。でこぼこしていない道を走っていてもなぜかバスだけは揺れまくっていました。穴や人やら牛やらをよけるのに右に左にぐらぐらと揺れまくりました。例のやばそうなブランケットにくるまった2人組はくしゃみか口ゲンカをするとき以
外はじーっとしてました。それと、私の後ろの席に座っていた人はずーっと私の席を蹴っていました。それはやってくれるなということが次々と目の前で起きていきました。そして、満を持してヒンズー音楽がけたたましくラジオから流れ出す始末。猫がしっぽをつかまれてブンブン振り回された時の叫び声って想像つきますか?ラジオから流れてきたのはまさにそれ。イライラ、腰痛、寒さ、みじめったらしさ、超疲労。これ以上のどつぼはありえないと自分に言い聞かせました。

なんとかバスは国境の町Sonaliへ到着。広い通りの半分がネパール側、その反対がインド側という町です。Sonaliに来る目的といったら、そこに行き、国境を渡って、さっさとよそへ行く。これだけ。ここは、むさくるしくて、汚くて、騒々しくて、ごみごみしていて、気持ちがすさみ、見どころゼロといういわゆるインドの嫌な面がオンパレード状態の所です。心の準備をしておけばよかった。ネパールの町は似ていたけど、なんか違っていました。アジアは似ているようで違うというやつですね。ネパールではぴりぴりしたり、不安になったりすることなんてありませんでした。本能で私は警戒態勢に入りました。敵愾心が私の中でどんどん高まっていきました。そして、私の中の"shanti(寂静)"は影をひそめ始めました。

ここで一泊してから次の日の朝バラナシ行きのバスに乗る予定でした。宿はなんだかあやしそうでしたが、宿の主はそれを上回ってました。この宿の必殺技は、私が支払いをするときにはぜったいにお釣りが用意されてないというものでした。ここはいまひとつ信用できない宿でした。いればいるほど、不安はどんどん募り、出ていきたくなりました。そこへ、私より早くここに着いた旅行者がバラナシ行きの夜行バスのことを教えてくれました。彼らがその夜行バスに乗ると言ったので、私も仲間に入れてもらうことにしました

宿のキャンセル代を払わされようがなんだろうが夜行バスに乗れるのなら、かまいませんでした。本能と、一人旅は禁物という忠告に従うことにしたわけです。

私たちは歩いて(というか、強引に)国境を越えました。で、それから行ったり、戻ったりを繰り返しました。インドのイミグレを見つけるのはかなり大変でした。現地の人に何度か場所を聞いてみたりもしましたが、無表情のままじっと見つめるだけでした。すぐにわかったのですが、これはインド式の返事らしいです。私たちは、なんとかイミグレをみつけました。看板も何もありませんでした。が、何はともあれイミグレは開いていました。

オフィスで書類を提出しました。イミグレのオフィスで働く人たちは仕事を手早く済ませるなんてことはしません。そこで、私たちのビザはちゃんとしたものだから早く手続きして欲しいと頼みまくりました。が、変化なし。なのに、オージーの男性がバクシーシ(お恵み=賄賂)を差し出したとたん、すいすいと手続きが進んでいきました。私の中で、オージーの株は急上昇しましたが、インドに対する考えは変化なし。それから、バスの中で「待て」をくらいました。これはインドではしょっちゅう待たされます。本当は、"お荷物取り扱い料"を払っていればこんな「待て」をくらうことはなかったんです。この預かり料というのはいわゆる旅行者のバックパックを運ぶための追加料金というのですが、バスの乗務員はそんなことしてくれません。10分ほど押し問答をしていたら、荷物もバスに持ち込むからと言って、いつのまにか"お荷物取り扱い料"が"お荷物持ち込み料"に変わっていました。でも、オージーの旅行者が、びた一ルピー払うもんかと食い下がりました。オージーの株はますます上昇。それにひきかえ、インドの印象は急降下まっしぐら。というわけで、私たちは待ちました。出発時刻から1時間半たってようやく出発することができました。旅の始まりを機に、私たちは自己紹介をしました。

LouiseとMattはニュージーランド人で、プラトニックな関係の友達同士。けんかをしていると、なんだか老夫婦がけんかしているみたいでした。この2人がトレッキングをしているときに会ったのがJustinとAlison。イギリスから来た2人組の女の子で、けっこうタカビーで、私のことは眼中になしって感じでした。Brianはニュージーランドからの1人旅で、いつの間にか人混みの中に消えていってしまいそうな感じの人でした。Simon とKlareはイギリス出身。ネパールからのバスで、私がやばそうだと思っていたブランケットにくるまっていた人たちの正体はこの人たちでした。そして、最後はこの2人、JasonとDan--あの、やかましいオージーコンビです。私はこの中にすんなりとはとけ込めませんでした。ここに来てもまだ、インドを旅することに超緊張していて、一人になることや、くすりが怖く、何よりもあのオージーたちに対する反感みたいなものがくすぶっていました。Jasonが、窓から用を足したとき、やっぱこの人を最初に見たときの印象は当たっているのかなと思い始めました。みんなだんだん盛り上がってきました。この人たちにはかなわないと観念し、私はガードを少しゆるめて、"喫煙"にも参加してみました。少しずつ緊張がほぐれてきて、この雰囲気を楽しめるようになりました。私は、KlareとSimonとしゃべり始めました。この二人はすごくおもしろくて、うちとけやすく、そして、優しい心の持ち主でした。そこで、私は彼らに対して抱いていた第一印象は間違っていて、好感を持てるだけでなく、信頼できる人たちだと気づきました。

私たちは道ばたの小屋みたいな所に晩ごはんを食べに行きましたが、とりあえず私は飢えたほうがましだと真剣に思いました。すべてに対する恐怖感と、数々の警告が頭をよぎりました。でも、おいしそうだし、調理済み。というわけで、頭の中から警告なんて捨てて、インドの文化に身をゆだねてみることにしました。それ以外に道はありませんでした。$1で、インドに来て、初のタリー風の晩ごはんと、チャイに挑戦しました。安いだけじゃなくて、味もすごくよかったです。先行きが段々明るくなってきたみたいで、インドも悪くないなと感じ始めました。

ごはんの後、バスはまた走り出し、私は眠りにつきました。すこしたってから目が覚めて気がついたのですが、バスは2時間ほど道路の脇に止まっていたみたいです。でも、誰もそのわけを知りませんでした。それからさらに2時間まちぼうけ。私たちはこの「待て」をくらわされるのにすぐに慣れたし、インドの旅では予期せぬ事態、わけのわからん出来事、ばかばかしくてやってられないことなんてざらにあるということにもすっかり慣れました。だから、今回のこの長ーい待ち時間も苦になりませんでした。

バスはなんとか運転を再開して夜を徹して走りました。「高速道路」といわれている道はいたって普通の車道といった感じで、舗装もされていませんでした。バスの運ちゃんは、近くを走る車やトラックやバスと時速100kmくらい出してレースをしてスリルを楽しんでいるようでした。そんなレースの舞台には肥だめ、人、フタのない下水の排水溝、そして牛が勢揃いしてました。レースの間、私たちはバスの中で右に左にヨーヨーのように振り回されっぱなし。一体これのどこが、いい道路なんだっつーの!!

バラナシには朝6時に到着しました。怒濤の24時間バスの旅だった。ふー。バスにのることが、こんなにこんなに大変だなんて。。。まるで巡業者が聖地メッカに到着したときのように。バスから降りる頃にはここまで一緒に来た旅の仲間をずっと前から知っているような気がしてきました。それがJasonやDanであってもそう思えました。それだけじゃなく、彼らのことを誤解いたのは自分が過剰反応してびびりまくっていたせいだと実感しました。孤独感からくる恐怖心はすぐに消え去りました。かりに、自分のやりかたでここまで来ていたとしてもきっと他の出会いがあったと思います。それに、旅をする人には友情を深めるセンスのようなものがあるような気がしました。たとえ赤の他人同士であってもこんな状況にぽんと放り込まれると堅い絆と友情がうまれるものなんです。みんな一緒にいたかったので、バラナシに来て何日か一緒に過ごしました。

バラナシ (Varanasi)
ゲストハウスを見つけて私たちは、寝て、食べてリフレッシュしました。私はすっかり元気になりました。Louise、Matt、Brianと私は町を探検することにしました。そこで私は愕然としました。と同時に、おもしろさ、神秘、美しさも感じました。

バラナシはガンジス川に横たわっているためか、最も聖なる地として知られています。ヒンズー教の巡礼者や地元の人たちはよくお寺にお参りに来たり、川で沐浴をしたり、火葬したりしています。この光景を見るために私たちはボートを借りて川を行ったり来たりしました。川岸の階段には裕福そうな人たちが見て見ぬ振りをする中、物乞いがいたりクスリやさんが目玉商品を売り歩いていました。そして、サドゥがTinkaの儀式を披露しているその後ろでは、川で洗い物をしているおばちゃんがいました。そのおばちゃんは、洗い物をした川にゴミを捨てていました。その近くには男女別々に分けてある沐浴場もありました。そこから数メートルしか離れていないところでは参列者が灰になった遺骨を川にまいていました。それはなんともいいようのない光景でした。ごみや遺骨がぷかぷか浮いている川で人が水浴びをしている。表現のしようがないし、ほとんど理解不能な光景でした。

ボートから降りて私たちは古い町並みを歩き回りました。白い石が敷き詰められた狭い歩道とその脇に連なる店はエルサレムを彷彿とさせました。通りは、ぐにゃぐにゃと曲がりくねっていました。標識はほとんどなく、道に迷うのが当たり前になり、迷路さながらといったところでした。またまたびびり始めてきてしましました。

人が通り抜けようとやいのやいの叫びながらぐいぐい押してくるし、まわりはゴミまるけでよけい不安でいっぱいになってしまいました。ゴミは通りにずらーっと並んでいて、汚物はそこら中の溝に当たり前のように浮いていて牛がその間をのんびりと歩いていました。牛は、そのゴミを食べ、通りのど真ん中だろうとどこだろうと、好きなところで用を足したり座ったりしてました。

狭いとおりに行くと、何かが私の足をかすりました。何だろうと、足下を見たら、男の人がしゃがみこんでいました。最初はその人が何をしているのかわかりませんでした。が、しかし、すぐに謎は解けました。老若男女、そして牛を問わずみんな適当なところで用を足すんです!!!(オッェーーー)立ってしても、しゃがんでしてもおかまいなし。こうなると、自分がどこを歩いているかなんてどうでもよく、用足しのお邪魔をしないように注意しながら歩くのに必死になりました。この人達の恥らいのなさに呆然とし、臭いに拒絶反応をおこしました。私の不安指数は赤丸急上昇。

旧市街の外は店が多い大きな通りでした。が、汚くて、どろどろで、ごみごみしてました。ここは私の知っている中で最強の汚さでした。(カイロだってこれよりましだった
。)
建物はオンボロですすまるけでした。道はちょっぴり舗装されていましたが、やっぱりゴミと、泥と、牛の落とし物にまみれていました。人でいっぱいの道の合間を車は強引にくぐり抜けていきます。少しでも隙間があれば、すぐそこで物売りが始まり、店の人はガンガンさけびまくります。女性達は、下水からひかれている蛇口から出る水でバケツをいっぱいにしていました。男性陣はというと、2件並んだ果物売りのすきまを「ドアなし」公衆便所にしてました。

この光景で私の不安指数は限界をぶっちぎりました。自分の目にしたものを受け入れることができませんでした。これまで生きてきてこんなに不安になったことありませんでした。インドに来て2日。ここを出たくなりました。人混み、雑音、悪臭、汚れに耐えられなくなったからです。他の旅行者がするみたいにさっさと飛行機に飛び乗ってどこかよそに行きたくなりました。「なんで、こんなところに来ちゃったわけ?」と考え込んでしまいましたが、そうやすやすとインドをあきらめたくありませんでした。この国のいいところだって色々聞いたからにはそれを見に行かないわけにはいきません。タージマハール、ラジャスタン、海岸、アシュラムなどなど。はるばるやってきたんだから、私はあきらめません。景色を見たり、ヒンズー教のことを習ったり、こんな環境に耐えるためだけにここまで来た訳じゃありません。インドを本当に満喫するためには、普段の生活を体験することです。そして、拒絶反応をおこすのもインドを体験するうちの一つです。私はインドにいるんだから、「郷(インド)に入ったら郷(インド式)に従え」しかないと思いました。そうするためにけっこうがんばりました。その時は、物売りのあしらい方や、お偉方への"バクシーシ(お恵み)"の「正しい」使い方、それとぼったくられないようにするのが一番だと思っていました。でも、それよりも乗り切ることのほうが簡単でした。

インドに対する第一印象を捨てて、目に見えるものではなくその後ろに隠れた何かを見つけようとすればこの国が楽しくなると実感しました。拒絶する代わりに、インドがそうなるわけを見つけることにワクワクしだすようになりました。私は質問をするようになり、ヒンズー教が人々の生活のあらゆる面にどうやって影響しているのか学びました。そして、カースト制度が貧困と富、雇用、社会的地位を支配していることを知りました。

新しさと古さが混在したこんな仕組みが、なぜ、どうやって成り立つのかを知りました。こんな疑問が一旦解消されるとこのこの国がだんだんわかってきました。

2ヶ月の間、私はインド式で過ごしました。インドの習慣を受け入れて、笑って、(ほとんどの時は)落ち着きを保つようにしました。しばらくかかったけど、インドの人、文化、宗教に対する理解、愛情と、尊敬がめばえました。

一番大事なのは、インドは私に外見の背後にかくれた深い部分に目を向けるということを教えてくれました。それは、あのオーストラリアから来た炭坑夫2人組や汚れまくった町並みにもいえることです。何にでも隠れた魅力があるんです。

旅人メモ
インドをお気楽に旅するのは大変です。旅行の経験があるなしに関わらずです。あちこちで聞かされた話は私の友達や私の身に現実のものとしてふりかかりました。盗難に遭ったし、食中毒にもなりました。なんでもないことが、すんなりいかなくてめちゃくちゃイライラさせられもしました。旅行の計画をたてるのも大変です。「待ち」の時間が長すぎて精神的にもやられます。道で過ごさざるを得ない時間は長くて、過酷です。物売りとやり合うことは日常茶飯事になり、バクシーシを使うのは生活の一部になります。お薬(おもに、ハシシやマリファナ)は特に西から来た旅行者はけっこう使っていますが、それが当たり前だと思うのはどうかと思います。

インドで目にするものには本当に仰天させられます。汚れ、貧困、雑踏、騒音などなど。でもそれだけじゃありません。インドに来て最初に目にするもの以外に本当にいろいろな面がこの国にはあります。

Copyright
Jodi Berman, 1999.

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